なぜ、たかが一匹の虫の死骸を、これほどまでに慎重に扱わなければならないのでしょうか。その理由は、ゴキブリの死骸が、私たちが想像する以上に多くの「見えない脅威」を内包した、危険物であるからです。その危険性は、大きく分けて三つあります。第一の危険性は、「病原菌の媒介」です。ゴキブリは、下水道やゴミ捨て場といった、不衛生な場所を徘徊して生活しています。そのため、その体表や脚、そして体内の消化器官には、サルモネラ菌や大腸菌、赤痢菌といった、食中毒や感染症を引き起こす様々な病原菌が付着・保有されています。死骸を不適切に処理する過程で、これらの菌が床や壁、あるいは私たちの手に付着し、知らず知らずのうちに体内に入ってしまうリスクがあるのです。第二の危険性は、「アレルゲンの拡散」です。ゴキブリのフンや死骸の破片は、乾燥すると非常に微細な粒子となり、空気中に舞い上がります。これを吸い込むことで、気管支喘息やアレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎といったアレルギー疾患を引き起こしたり、症状を悪化させたりする原因となります。死骸を放置することは、家の中にアレルギーの原因物質を撒き散らしているのと同じことなのです。そして、第三の、そして最も恐ろしい危険性が、「卵」の存在です。もし、退治したゴキブリがメスで、卵鞘(らんしょう)と呼ばれる卵のカプセルを抱えていた場合、その死骸を放置すると、母親が死んだ後でも、そのカプセルから数十匹の幼虫が孵化してしまう可能性があります。一匹退治したつもりが、実は数十匹の新たな脅威を生み出していた、という悪夢のような事態を避けるためにも、死骸は速やかに、そして確実に密閉して処分する必要があるのです。ゴキブリの捨て方は、単なる後片付けではなく、家族の健康と家の未来を守るための、重要な衛生管理の一環なのです。